今どきの子供

近年はコンピュータの発達により、コンピュータを利用して作成した学習材(教材)も増えてきた。
手書きのプリント学習材(教材)の場合、文字が汚かったり印刷不鮮明だったりして読みづらいこともある。しかし、ワードプロセッサの発達によりこれらの問題は解決し、さらに一度作った学習材(教材)を再編集したり、コンピュータ上でコピーするなどして再利用することも可能となった。


また、かつては透明のシートに油性ペンで書いた学習材(教材)をオーバーヘッドプロジェクタ(OHP)でスクリーンに投影することも行われていたが、インターネットで検索したり、スキャナで取り込むなどして収集した資料を基に作成したプレゼンテーション学習材(教材)を、スクリーンに提示して授業を行うことも増えている。しかし、コンピュータ上で行う手作業であるがゆえに、作成者の勝手が聞かず学習材(教材)作成に時間がかかることもある。


また、コンピュータで作成した自習用の学習材をインターネット上に公開する例も増えている。これらには不登校の児童・生徒を対象に開発されている学習材も多く、なかには解答を送信すると添削して返してくれるというサービスもある。この種のものの発展したもの、あるいは総称としてeラーニングという言葉が使われることもある。

子供達のガールスカウト

活動の基本原則は「やくそく」と「おきて」である。人種・国籍・宗教の差別なく、健全かつ幸福で社会に貢献する女性の育成を目的とする。
世界的団体として「ガールガイド・ガールスカウト世界連盟(WAGGGS)」があり、2003年現在で144の国と地域が加盟し、メンバー数1,000万人を数える。
ガールガイドを日本にもたらしたのは、英

国国教会から日本聖公会に派遣された宣教師ミュルエル・グリーンストリートである。彼女は英国ガールガイドの一級団員であり、東京の香蘭女学校において「ガールガイド東京第一組」を発足させ、1920年(大正9年)1月30日、聖アンデレ教会で発団式を行った(このときの団員は12名)。同年7月に猪苗代湖畔にあった宣教師ディクソン女史の別荘で最初のキャンプが行われた(これは指導者3名、参加者9名であった)。



1923年、日本独自のガールガイド組織として、「日本女子補導団」が設立された。総裁は林富貴子(林博太郎伯爵の夫人)、副総裁は三島純(「少年団日本連盟(現・ボーイスカウト日本連盟)」の副理事長三島通陽の夫人)、書記は檜垣茂。
第二次大戦による中断の後、1947年(昭和22年)活動を再開し1949年(昭和24年)には現在の「社団法人ガールスカウト日本連盟」が発足し、ガールガイド・ガールスカウト世界連盟に加盟している。2003年現在、日本連盟の団数は1500団、メンバー数は約53000人。

子供の遊びと生活の場所

19世紀のヨーロッパの市民社会の中で、中流階層以上の家庭では、職住一致の時代も過ぎ、住居が、家の外で働く大人たちの安らぎと休息の場になってからは、子供たちは家の生活の周縁に追いやられ、主として親たちが、書斎、寝室、客間と部屋を取っていって、余りものの屋根裏部屋が子供たちの居場所として宛がわれた。そして、親たちの社会生活に首を突っ込ませないために、その現実の生活の代用として、男の子にはスズの兵隊を、女の子にはドールハウスが与えられた。


この時代に書かれた今日でも代表的な児童文学作品の中でも、子供たちの居場所は、屋根裏部屋である。『ピーターパン』、『小公女』、『赤毛のアン』などを参照されたい。
日本でも、太平洋戦争後、ベンジャミン・スポックの『スポック博士の育児書』がしつけのバイブルとして紹介され、独立心を養うために子供たちは別室で寝起きさせるように、という見解が広まり、また高度成長期の経済の興隆と共に、住宅の中に子供部屋を最初から設けるということが、徐々に広まってきた。



さらに、現代では国民生活の向上と少子化により、親が自分の部屋を持てないにも関わらず優先的に一人一室があてがわれたり、クーラーやパソコンといったものが設置されたりする事も珍しくなくなっている。